「少し触れただけで患者が飛び上がる」——その反応の背後に、組織の炎症だけでなく、痛み刺激への注意の向け方そのものが関わっているとしたらどうでしょうか。痛みの強さは侵害受容信号の大きさだけで決まるのではなく、脳がその信号にどれほどの優先度を与えるかによっても大幅に変わることが、この20年ほどの認知神経科学研究で明らかになっています。過敏化された注意は、些細な感覚刺激を「潜在的脅威」として処理し、脳の下行性疼痛調節系を抑制することで疼痛感受性を高め、さらに注意が痛みに引きつけられるという悪循環を生みます。本稿では、注意バイアスと疼痛感受性の関係を実証的に示した主要研究を整理し、明日の臨床での視点転換に役立つ知見を検討します。
注意は痛みに「割り込まれる」——認知割り込みモデルの提唱
EcclestonとCrombezが1999年に発表した論文「Pain demands attention(痛みは注意を要求する)」は、注意と痛みの相互作用を認知心理学の枠組みで論じた先駆的著作として現在も広く引用されています(Eccleston & Crombez, 1999年, Psychological Bulletin)。論文タイトルが端的に示すとおり、このモデルの中心概念は「認知割り込み(cognitive interruption)」です。
人間の注意リソースは有限であり、複数の課題が同時に処理能力を競い合います。Ecclestonらは、痛みの信号が進行中の認知処理に「割り込む」条件を三つに整理しました。第一は新奇性(novelty):これまでに経験したことのない性質の感覚刺激は自動的に注意を引きます。新奇な刺激は生存上の脅威を示す可能性があるため、中枢神経系が優先的に処理しようとするのは適応的な反応です。第二は強度(intensity):侵害受容信号がある閾値を超えると、他の認知課題を中断してでも注意が向くメカニズムが作動します。これは急性損傷への即時対応を可能にするための神経系の設計です。第三は脅威価値(threat value):同じ痛み強度であっても、「この痛みは危険なのかもしれない」という評価が加わると、注意の優先度は急上昇します。
この三点目が慢性疼痛の臨床で特に重要です。急性期の痛みは新奇性と強度で注意を引きますが、慢性化した痛みは強度が低下しても脅威価値が維持——あるいは増大——されるため、注意の割り込みが繰り返されます。結果として患者は「常に体の変化を監視している」状態に置かれ、認知リソースの多くが疼痛関連の監視業務に費やされます。Ecclestonらはこの慢性的な注意の引き込みを「超警戒(hypervigilance)」と呼びました。超警戒状態にある患者は、実際の侵害受容刺激がなくても痛みに関連した感覚を優先的に検出し、曖昧な身体感覚を「痛み」と解釈する傾向が強まります。これが臨床でしばしば観察される「触っていないのに痛い」「軽く触れただけで激しく反応する」という現象の認知的基盤の一つとなっています。
実験的な裏づけも積み重なっています。慢性疼痛患者に認知課題(計算問題・単語記憶)を行わせながら痛み刺激を与えると、健常者に比べて課題成績の低下が大きいことが示されており、注意リソースの競合が測定可能な認知コストをもたらすことが確認されています。また逆に、課題に高度に没入している状態では同じ侵害受容刺激への主観的な痛み評価が低下するという「課題関与による鎮痛(task-related analgesia)」の現象も観察されており、これはEccleston & Crombezモデルの双方向性を支持する知見です。すなわち注意が痛みに向くと痛みが強まり、注意が課題に向くと痛みが弱まるという構造です。
Eccleston & Crombezのモデルが提示した最も重要な臨床的含意は、痛みに対する注意を変えることで疼痛体験そのものを変えられる可能性を示しているという点です。注意の向きを制御する介入——意識的な注意の再配向、マインドフルネス練習、課題への意図的没入——が疼痛管理の補助的手段となりうるという考え方は、このモデルに理論的根拠の一部を持っています。モデルの限界として、脅威価値の評価がどのような神経基盤で行われるかについては当初の論文では詳しく論じられておらず、その後の神経科学研究が回路レベルの解明を担うことになりました。
図1: 認知割り込みモデル——有限な注意リソースに痛み信号が「割り込む」。脅威価値が高いほど割り込み優先度が上昇し、課題遂行に干渉する。慢性化すると超警戒(hypervigilance)状態が固定化される。
疼痛の顕著性検出システム——「疼痛マトリクス」の再解釈
2000年代初頭のfMRI研究では、前帯状皮質(ACC: anterior cingulate cortex)・島皮質(insula)・視床(thalamus)・体性感覚野(S1/S2)が痛み刺激に一貫して応答することから、これらの領域が「疼痛に特異的な脳内ネットワーク(疼痛マトリクス)」を構成するという解釈が広まっていました。しかしLegrainら(2011年, Progress in Neurobiology)は、この解釈を根本的に問い直す論文「The pain matrix reloaded(疼痛マトリクスの再装填)」を発表しました。
Legrainらが着目したのは、いわゆる疼痛マトリクスの構成要素——特にACC、前頭前野、島皮質——が、痛み以外の「顕著な」刺激によっても同様に活性化されるという現象です。突然の大きな音、予期しない視覚刺激、驚き反応が、痛み特有とされていた脳領域と重複して活性化されることが複数の研究から確認されていました。この事実をもとにLegrainらは、これらの脳領域は「痛みに特異的に反応する器官」ではなく、**「身体や環境における顕著で潜在的に有害な事象を検出・処理する汎用的なシステム」**として機能していると再定義しました。これが「顕著性検出システム(salience detection system)」という概念です。痛みは顕著性の高い刺激の一種として処理されるのであり、「痛みに特化した回路」が独立して存在するわけではないという見方です。
この視点転換は、注意と疼痛感受性の関係を理解するうえで複数の重要な含意を持ちます。第一の含意は痛みの文脈依存性の説明です。 同じ侵害受容刺激でも、「予期しない」「危険と評価される」「注意が向いている」状況では顕著性検出システムが強く反応し、痛みは強くなります。逆に、課題への没入や意識的な注意分散の状態では同じ刺激への応答が弱まります。集中して仕事をしているときに傷に気づかなかったり、スポーツ選手が試合中に骨折に気づかなかったりする現象は、顕著性検出システムの枠組みで自然に説明できます。すなわち前頭前野からのトップダウン制御が「この刺激は今の課題に比べて顕著度が低い」と評価することで、疼痛応答が抑制されるのです。
第二の含意は、感情状態が疼痛感受性を変調するメカニズムの明確化です。 Legrainらの枠組みでは、痛み刺激への注意は「この刺激はどれほど顕著か(重要か)」という評価と直結しており、その評価は前頭前野からのトップダウン制御を受けます。不安・恐怖という感情状態は、前頭前野の脅威評価バイアスを通じて「顕著性判断のハードル」を下げます。その結果、通常であれば「無害」として処理されるはずの軽微な刺激でも「潜在的脅威」として分類されやすくなり、ACC・島皮質の活動が増大して疼痛応答が増強されます。この「感情状態 → 顕著性評価 → 疼痛強度」という経路が、不安・恐怖状態で疼痛感受性が高まる神経回路的基盤の一つです。
第三の含意は、中枢性感作との接点です。 慢性疼痛患者では、繰り返される有害刺激と持続的な脅威評価によって顕著性検出システムの感度設定そのものが変化している可能性があります。侵害受容信号が「常に高顕著性」として処理されるよう神経回路が再編成され、閾値以下の刺激でも強い疼痛体験が引き起こされるようになるという仮説です。この注意バイアス研究と中枢性感作の接点は、「なぜ中枢性感作では痛みが広範化し、軽い刺激でも過度に反応するのか」という臨床的な疑問に、認知神経科学的な文脈を加えて理解する枠組みを提供します。治療家にとっては、「患者の注意が何に向き、何を顕著・脅威として評価しているか」を把握することが、疼痛管理の重要な臨床情報になりえます。
図2: 顕著性検出システムの神経回路——前頭前野(PFC)が「脅威評価」を通じてACC・島皮質・視床へトップダウン制御を行う。不安・恐怖状態では脅威評価が上昇し、疼痛感受性が増強される。
恐怖・破局化が注意バイアスを増幅する
注意と痛みの関係において、「痛みへの恐怖(pain-related fear)」と「破局化思考(pain catastrophizing)」は強力な増幅因子として機能します。この領域における実証的根拠を確立した重要研究が、Crombezら(1999年, Pain)による「Pain-related fear is more disabling than pain itself(痛みへの恐怖は、痛みそのものより機能障害を生む)」です。
Crombezらの研究では、慢性腰痛患者を対象に、痛みの主観的強度と痛み恐怖スコア(Pain Anxiety Symptoms Scale; PASS)の両方を測定し、どちらが日常生活の機能的障害をより強く予測するかを検討しました。結果は明快で、痛みの主観的強度よりも痛み恐怖スコアのほうが、仕事・家事・余暇活動における機能的障害の程度をより強く予測しました。さらに注目すべきは、反応時間課題を用いた注意バイアスの測定結果です。痛み恐怖スコアの高い患者ほど、痛み関連刺激(痛みを連想させる単語・画像)への反応時間が短く——すなわちより速く、より自動的に注意が引きつけられる——という知見が得られ、注意バイアスと痛み恐怖の密接な相関が実験的に示されました。
このCrombezらの知見を発展させ、慢性疼痛の維持プロセス全体をモデル化したのが、VlaejenとLintonが2000年に発表した**恐怖回避モデル(Fear-Avoidance Model)**です(Vlaeyen & Linton, 2000年, Pain)。このモデルの核心は、痛みの体験がどのように「解釈」されるかによって、その後の経過が「回復の道」か「慢性化の道」に分岐するという点にあります。痛みを「危険なシグナルである」と破局的に解釈した患者では、痛みへの恐怖が生まれます。この恐怖は次の二つの行動パターンを誘発します。
第一は**超警戒(hypervigilance)です。身体の感覚を常時監視し、わずかな変化でも「痛みの兆候」として検出しようとします。これが注意バイアスの行動的実体であり、閾値以下の刺激でも痛みとして認識されやすくなります。第二は回避行動(avoidance)**です。痛みを引き起こしそうな活動を避けることで、活動量の低下と身体的脱調整(deconditioning)が生じます。脱調整によって実際に痛みが生じやすくなり、それがさらなる破局化思考と恐怖を強化するという悪循環です。恐怖回避モデルにおいて注意バイアスは「超警戒」の認知的実体として位置づけられており、このモデルが慢性疼痛の維持機構における注意の役割を理論的に整理した貢献は非常に大きいといえます。
破局化思考の定量評価に広く用いられるのが**Pain Catastrophizing Scale(PCS)**です(Sullivan et al., 1995年, Psychological Assessment)。PCSは「反芻(rumination)」「拡大(magnification)」「無力感(helplessness)」の3下位尺度で構成され、各項目を0〜4の5段階で評定します。PCSと注意バイアスの相関は複数の研究で確認されており、PCスコアが高い患者では、ドット・プローブ課題(dot-probe task)や感情ストループ課題(emotional Stroop task)において疼痛関連刺激への自動的・前注意的な注意バイアスがより強く検出されます。感情ストループ課題では「痛み」「傷害」「危険」などの疼痛関連単語が呈示されると、健常者に比べて慢性疼痛患者では色名命名の反応時間が延長する(認知干渉が増大する)ことが繰り返し確認されており、疼痛関連刺激への自動的な注意の引きつけを反映していると解釈されています。
PCSスコアの高い患者は、痛みの脅威価値評価が高く、顕著性検出システム(前節で述べたLegrainらのモデル)の感度が上昇している状態にあると考えられます。この「破局化→脅威価値評価の上昇→顕著性検出システムの過活性→疼痛感受性の増大→さらなる破局化」というサイクルが、急性疼痛を慢性化させる認知的エンジンの一つです。臨床的には、PCS等の質問紙で破局化傾向を把握することが、患者の注意バイアスの強さを間接的に推定する手がかりとなり、介入の優先度や方向性を定める情報になります。
図3: 恐怖回避サイクルと注意バイアスの増幅——痛みの破局的解釈が恐怖を生み、超警戒(注意バイアス)状態を形成する。疼痛感受性の上昇が慢性化ループを維持し、回避行動が脱調整を通じてさらに痛みを強化する。
脳内神経回路——前帯状皮質・島皮質と下行性疼痛調節
注意と疼痛感受性の関係を脳内回路レベルで整理した権威あるレビューとして、Bushnellら(2013年, Nature Reviews Neuroscience)による「Cognitive and emotional control of pain and its disruption in chronic pain(痛みの認知・感情的制御と慢性疼痛におけるその崩壊)」があります。このレビューは、脳が痛みを「体験」するプロセスに感情・認知・注意が深く介在していることを神経科学的証拠とともに整理した論文として、その後の研究に大きな影響を与えています。
Bushnellらが整理した回路の中心にあるのは、前帯状皮質(ACC: anterior cingulate cortex)と島皮質(insula)が「痛みの感情的・注意的側面」を担うという枠組みです。痛みには少なくとも二つの次元があります。一つは「どこが、どのくらい痛いか」という感覚弁別的側面(somatosensory discriminative aspect)で、これは主に一次・二次体性感覚野(S1/S2)が担います。もう一つは「この痛みはどれほど不快か、どれほど脅威か」という感情動機的側面(affective-motivational aspect)で、これはACCと島皮質が中心的役割を果たします。注意バイアスが疼痛感受性に影響するのは、主にこの感情動機的側面を通じたメカニズムによるものです。
下行性疼痛調節系(descending pain modulation system)は、注意・感情状態と疼痛感受性を結ぶ重要な神経回路です。脳幹の中脳水道周囲灰白質(PAG: periaqueductal gray)は、前頭前野・ACC・扁桃体からの入力を統合し、脊髄後角への下行性の疼痛抑制(または促進)シグナルを制御します。PAGからの下行性シグナルは延髄の吻側腹内側核(RVM: rostral ventromedial medulla)を介して脊髄後角の侵害受容ニューロンに達し、疼痛信号の増幅または抑制をゲートします。Bushnellらは、このPAG–RVM経路が「内因性オピオイド系」とも密接に関連しており、プラセボ鎮痛や注意による鎮痛がこの経路を通じて実現されることをレビューで論じています。
注意状態が下行性疼痛調節系を通じて疼痛感受性を変調する経路は概ね以下のとおりです。課題への没入・分散注意の状態では、前頭前野が「現在の重要課題」に認知リソースを優先配分するよう指示し、ACC経由でPAGへの鎮痛シグナルが増強されます。結果として脊髄後角での侵害受容信号が抑制され、疼痛感受性が低下します。逆に痛みへの注意集中・超警戒状態では、前頭前野が疼痛信号を「高優先度」と評価し、PACへの鎮痛シグナルが弱まります。さらに扁桃体を介した恐怖・不安情動の活性化がPAGの疼痛促進細胞(「ON細胞」)を賦活し、脊髄後角での侵害受容信号が増幅されます。これが「不安状態で痛みが強まる」神経回路的基盤の一つです。
Bushnellらはまた、慢性疼痛患者では前頭前野の灰白質体積が減少し、下行性疼痛抑制の効率が低下している可能性を論じています。この構造的変化は注意・認知機能の変化とも相関しており、慢性疼痛における注意バイアスの持続は「回路レベルの変化」によって維持・強化されているという可能性を示唆しています。すなわち、慢性化した注意バイアスは単なる「心理的習慣」ではなく、神経回路の実質的な再編成を伴いうる現象であり、その修正には時間と継続的な介入が必要であることを示唆しています。
図4: 下行性疼痛調節と注意の神経経路——前頭前野・ACC(注意・認知)は下行性疼痛抑制を増強し、扁桃体(恐怖・不安)は促進シグナルを通じてPAGを介した下行性調節を変調する。注意状態が脊髄後角の疼痛ゲートに影響を与えるメカニズム。
慢性疼痛における注意バイアスの固定化——認知処理バイアスの統合モデル
注意バイアスが急性疼痛から慢性疼痛へと移行する過程でどのように固定化されるかは、臨床的に非常に重要な問いです。急性痛の段階では、痛み刺激への注意バイアスは「脅威をいち早く検出して対処する」ための適応的な反応です。しかし一部の患者ではこのバイアスが慢性化し、環境が安全になっても、痛み刺激が消失しても、依然として痛みに関連した情報を優先的に処理し続ける「不適応的注意バイアス」が固定化されます。
この固定化プロセスを理解するうえで、認知神経科学が示す「注意バイアスの多層性」が重要です。注意バイアスには少なくとも三つの層があります。第一は選択的注意(selective attention):複数の刺激が同時に存在するとき、痛み関連刺激を他の刺激より優先的に処理する傾向です。これはドット・プローブ課題などで測定され、慢性疼痛患者では一貫して増大が報告されています。第二は注意の解放困難(difficulty disengaging):一度痛み関連刺激に注意が向くと、そこから注意を引き離すことが難しくなる傾向です。選択的注意が「引きつけられやすさ」を反映するのに対し、解放困難は「離れにくさ」を反映し、超警戒の持続メカニズムとして機能します。第三は注意の過覚醒状態(heightened vigilance):身体感覚全般に対する閾値の低下で、痛みを予告するかもしれない微細な変化を常にスキャンし続ける状態です。
これらの注意バイアスが固定化される神経学的基盤として、扁桃体の条件付け学習が重要視されています。恐怖条件付けの研究では、痛みに関連した文脈・手がかりが繰り返し提示されると、その文脈・手がかり自体が条件刺激として機能し、実際の侵害受容刺激がなくても扁桃体が活性化し、前頭前野の脅威評価が上昇するようになります。慢性疼痛における注意バイアスの固定化は、この「痛み体験に基づく恐怖条件付け」によって維持されている側面があります。治療院の受付の匂い、施術台の感触、前回痛かった体勢——これらが条件刺激となって注意バイアスを活性化し、処置前から疼痛感受性が高まっている患者がいるとすれば、それはこのメカニズムで説明できます。
さらにBushnellらが指摘した前頭前野の構造的変化は、注意バイアスの「固定化」の解剖学的基盤を示唆します。慢性疼痛患者では前頭前野の灰白質体積が健常者より小さい傾向があり、これはトップダウンによる注意制御能力——「痛みに向いた注意を意識的に別の対象へ移す能力」——の低下と対応している可能性があります。注意制御能力が低下した状態では、一度活性化した注意バイアスを意志の力だけで変えることは困難になります。この構造的変化がどの程度可逆的であるかについては、現時点では限定的なエビデンスしかないものの、マインドフルネスに基づく認知療法(MBCT)の継続実践が前頭前野の灰白質体積に影響しうることを示した研究も存在しており、注意バイアスへの介入が脳構造にまで影響する可能性は完全に否定されていません。
注意バイアスの固定化に対する臨床的アプローチとして近年注目されているのが**注意バイアス修正訓練(Attention Bias Modification Training; ABMT)**です。これはドット・プローブ課題を応用した反復訓練プログラムで、疼痛関連刺激から中立刺激へ注意を誘導するトライアルを繰り返すことにより、痛み刺激への自動的注意バイアスを軽減しようとするアプローチです。慢性疼痛への応用研究はまだ発展途上にあり、効果量はおおむね小〜中程度と報告されていますが、「注意バイアス自体を直接のターゲットとする介入」という概念的枠組みを提供した点で意義があります。
図5: 注意バイアス固定化の三段階プロセス——急性期(適応的)から慢性期(不適応的固定化)への移行。恐怖条件付けと前頭前野機能の低下が固定化を促進し、注意バイアスの修正には継続的な介入が必要となる。
臨床への示唆——注意のアセスメントと介入の視点転換
ここまで概観してきた注意バイアス研究は、治療家の臨床的思考に複数の具体的な視点転換をもたらします。
第一の視点転換:評価に「注意の向き先」を加える。初診時の問診や経過観察において、「どこが痛いか」「どのくらい痛いか」という情報に加え、「患者が痛みにどれほど注意を向けているか」「何が痛みの脅威価値を高めているか」を評価することが、管理戦略の選択に直結します。Pain Catastrophizing Scale(PCS)やTampa Scale of Kinesiophobia(TSK)などのスクリーニングツールを活用することで、注意バイアスの強度と恐怖回避モデル上のポジションを把握できます。PCS合計スコアが30点以上の患者では、手技による直接的な組織アプローチに加え、認知的介入の優先度を上げることを検討する価値があります。
第二の視点転換:施術環境と言語的介入が疼痛感受性を変調する。顕著性検出システム(図2)の枠組みで考えると、施術室の環境・治療家の言動・説明の仕方が「脅威評価」に影響し、疼痛感受性を上下させる可能性があります。「このあと少し強く押しますよ」という予告は、患者の前頭前野に「これは脅威だ」という評価を準備させ、疼痛感受性を高めかねません。一方「次は少し深く触れますが、圧迫感を感じる程度です」という文脈再構成(リフレーミング)は脅威評価を下げ、同じ圧力を「安全な感覚」として処理させやすくします。言葉が疼痛感受性を変調するというプラセボ・ノセボ研究の知見は、まさにこのメカニズムと接続しています。
第三の視点転換:課題への注意没入を積極的に利用する。Eccleston & Crombezの割り込みモデル(図1)が示すように、認知課題への没入は注意リソースを痛みから引き離し、疼痛感受性を低下させます。施術中の会話、単純な認知課題(計算、語想起)、呼吸への意識的な集中などは、痛みへの注意バイアスを一時的に軽減させる実践的ツールになりえます。ただし超警戒が強い患者では、逆に「体の変化を観察してください」という指示が疼痛感受性を高めてしまう可能性があるため、注意を向ける対象の選択は慎重に行う必要があります。
第四の視点転換:段階的曝露による恐怖消去。恐怖回避モデル(図3)に基づけば、回避行動の維持が慢性化ループを支える重要な要因です。段階的運動曝露(Graded Exposure in Vivo)は、患者が恐怖を感じる動作や活動に、最も恐怖の少ないものから順番に曝露し、「痛みが予測ほど起きない」「動いても大丈夫だ」という新たな学習(恐怖消去)を促すアプローチです。この介入が注意バイアスを修正する機序は、恐怖条件付けの消去——すなわちかつて「危険シグナル」として学習された文脈・動作への脅威評価を下げること——にあります。段階的曝露は、単なる「運動量の増加」ではなく「注意バイアスに基づく脅威評価の修正」として理解することで、その適用と効果の予測精度が上がります。
第五の視点転換:マインドフルネスを注意の柔軟性訓練として位置づける。マインドフルネスの疼痛軽減効果については複数の研究でエビデンスが蓄積されていますが、注意バイアス研究の文脈では「判断なしに現在の感覚を観察する」練習が注意の柔軟性(超警戒や解放困難の改善)を高めるメカニズムとして理解できます。痛みを「脅威」として評価する前注意的バイアスに対し、「これは今ここにある感覚であり、危機ではない」という観察モードを育てることが、下行性疼痛抑制の回復を支える可能性があります。ただし、マインドフルネス実践の効果は個人差が大きく、特に破局化傾向の高い患者では「体の感覚に注意を向ける」練習が逆に超警戒を強化するリスクもあるため、段階的な導入と丁寧なフォローが求められます。
図6: 注意調節に基づく臨床介入の枠組み——注意バイアスの中心サイクルに対し、疼痛神経科学教育(脅威評価修正)・注意分散(認知リソース競合)・段階的曝露(恐怖消去)・マインドフルネス(注意柔軟性)・ABMT(直接修正)が異なる経路で働きかける。
まとめ
注意バイアスと疼痛感受性の関係は、「気のせい」や「精神的な問題」に単純に還元できる現象ではなく、Eccleston & Crombezの割り込みモデルが示すように、有限な認知リソースを巡る構造的な競合と脅威評価に基づく神経科学的に合理的なプロセスです。Legrainらの顕著性検出システムは、脳が痛みを「痛みに特化した回路」ではなく「環境内の顕著な脅威を検出する汎用システム」で処理していることを示し、注意状態と感情状態が疼痛感受性を変調するメカニズムを回路レベルで理解する枠組みを提供しました。
Crombez、Vlaeyen & Lintonの恐怖回避研究は、注意バイアスが破局化思考・痛み恐怖・回避行動・疼痛感受性上昇というサイクルの中に組み込まれていることを実証し、慢性化プロセスにおける認知・注意の中心的役割を明確にしました。Bushnellらのレビューはこれらの現象を下行性疼痛調節系(PAG–RVM–脊髄後角)の神経回路と接続し、注意状態が脊髄レベルでの侵害受容信号処理にまで影響することを示しました。
これらの知見が治療家に示すのは、疼痛管理が「組織へのアプローチ」と「注意・認知へのアプローチ」の双方を含む統合的なものである必要があるという視点です。患者が何に注意を向け、何を脅威として評価しているかを把握し、その評価を修正する言語的・教育的・行動的介入を組み合わせることが、疼痛感受性の正常化に向けた包括的なアプローチとなります。注意バイアス研究はこれからも発展途上にあり、より個別化された評価・介入ツールの開発が期待されます。
参考文献
- Eccleston C, Crombez G. (1999). Pain demands attention: A cognitive-affective model of the interruptive function of pain. Psychological Bulletin, 125(3), 356–366.
- Legrain V, Iannetti GD, Plaghki L, Mouraux A. (2011). The pain matrix reloaded: A salience detection system for the body. Progress in Neurobiology, 93(1), 111–124.
- Crombez G, Vlaeyen JWS, Heuts PHTG, Lysens R. (1999). Pain-related fear is more disabling than pain itself: Evidence on the role of pain-related fear in chronic back pain disability. Pain, 80(1–2), 329–339.
- Vlaeyen JWS, Linton SJ. (2000). Fear-avoidance and its consequences in chronic musculoskeletal pain: A state of the art. Pain, 85(3), 317–332.
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